大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)211号 判決 1985年10月23日

原告

株式会社溝口製作所

右訴訟代理人弁護士

橋詰洋三

同弁理士

岡田英彦

同弁理士

大儀武夫

右訴訟復代理人弁理士

小玉秀男

被告

特許庁長官宇賀道郎

右指定代理人

加藤英一

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告は、「特許庁が昭和五四年審判第三五七一号事件について昭和五九年七月九日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

二  被告は、主文同旨の判決を求めた。

第二  請求の原因

一特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四六年一一月二日、名称を「箱尺」とする考案(以下、「本願考案」という。)につき実用新案登録出願をした(同年実用新案登録願第一〇二三〇五号)。同出願は、昭和五二年八月二日に出願公告された(同年実用新案登録出願公告第三三八七一号)が、登録異議の申立があり、昭和五三年一二月一三日、拒絶査定がされた。原告は、昭和五四年四月五日、これに対し審判の請求をした。特許庁は、同請求を同年審判第三五七一号事件として審理し、昭和五五年六月三〇日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をした。右審決は、これに対する東京高等裁判所昭和五五年(行ケ)第二五六号審決取消請求事件において同裁判所が昭和五八年七月二一日に言渡した判決により取り消され、同判決は確定した。そこで、特許庁は、右審判請求事件についてさらに審理した上、昭和五九年七月九日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年七月二五日、原告に送達された。

二本願考案の実用新案登録請求の範囲

次第に大きさを異にした角柱1、1′を折畳み可能に連関嵌挿した箱尺体Aに於いて、内角角柱1′の下方部の正面中心線上に正面方4を背面方5より小径とした異径孔を穿設し、該両孔に削径突部9を形成した套管8を背面方5より密嵌装し、その内空に圧縮バネ10を介在せしめて先端に節度突起12を有する摺動駒片11を嵌入すると共に、套管8の背面開放端で背面方5の内側角柱1′と面一に蓋片15を固着して閉塞する連結部7を形成し、該連結部7の位置で外側角柱1の上方部に横方向に長孔とした係合孔14を有する案内具13を固着し、内側角柱1′の伸長引出時に前記節度突起12が案内具13の横方向に長孔とした係合孔14に嵌着すべく構成したことを特徴とする箱尺。

三審決の理由の要点

1  本願考案の要旨は、前項の実用新案登録請求の範囲に記載されたとおりである。

2  本願に対しては、昭和五九年一月一八日付けで拒絶理由を通知したが、この拒絶理由は妥当なものと認められるので、本願は、この拒絶理由によって拒絶すべきものである。

四昭和五九年一月一八日付拒絶理由通知の理由の要点

本願考案は、その出願前にオーストラリア国内において頒布された刊行物であるオーストラリア特許第四〇八五三九号明細書を複製したマイクロフィルム(以下、「引用マイクロフィルム」という。)に記載された考案に基づいて、その出願前にその考案の属する技術の分野における通常の知識を有する者が、きわめて容易に考案をすることができたものと認められるから、実用新案法三条二項の規定により実用新案登録を受けることができない。なお、引用マイクロフィルムが本願出願前頒布された事実は、オーストラリア特許商標意匠局特許副長官R・M・メイ署名にかかる文書から推認される。

五審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点1は認めるが、同2は争う。審決は、次に述べる理由により違法であつて、取り消されなくてはならない。

1  引用マイクロフィルムは頒布されていない(取消事由(1))。

引用マイクロフィルムの取扱いを説明するオーストラリア特許庁副長官作成の文書の「公示の時点で、特許庁で明細書のマイクロフィルムを二巻作成する。……一巻を永久保存、他の一巻からジアゾコピーを六部作つて、一部を特許庁で保管し、残りを各州の特許庁支所に送る。公衆は、特許庁本庁及び各支所でディスプレイスクリーンを使つてこのマイクロフィルムを見ることができる。普通紙に複写する装置もある。公衆は、この複写紙を購入することができる。明細書のコピーは特許庁本庁からも取り寄せることができる。」との記載によれば、複数の引用マイクロフィルムが作成され、複数個所に送付され、何人も閲覧を求め得る状態に置かれたことは認めることができる。しかし、その送付先はすべてオーストラリア特許庁の支所であるとされているのであるから、右の送付は同特許庁における純然たる内部手続であつて、これをもつて引用マイクロフィルムが頒布されたということはできない。

右一に記載したとおり、特許庁が本件審決に先立つて昭和五五年六月三〇日にした審決は、東京高等裁判所昭和五五年(行ケ)第二五六号審決取消請求事件につき昭和五八年七月二一日にされた判決により取り消されたが、同判決には、次のとおり判示されている。

「しかしながら、被告主張の日に、請求により、引用例の発明を記載した明細書原本の複写物を交付することが認められるようになり、その意味で明細書原本が頒布性を有するようになつたからといつて、そのことから直ちに引用例が、その日に、実用新案法の前記法条にいう「外国において『頒布された』刊行物」になるものとすることはできない。「頒布された」と認定するためには、いつ、どこで、どのような形態で、誰に頒布されたかを具体的に立証する必要はないが、少なくとも頒布された事実を推認せしめるものがなければならず、明細書の原本が前記のような意味での頒布性を取得したというだけでは、その明細書が「頒布された刊行物」になつたものとすることはできず、本件においては引用例が頒布されたことを推認させるような証拠もない。複写技術が発達し、明細書原本の複写を要求すれば、直ちに複写物を入手することができるというような事実は、未だもつて、引用例が頒布されたことを認めしめる証拠となすことはできない。」

右に判示されたところは、そのまま本件についても適用されるべきである。すなわち、右判決の場合と本件の場合とでは、明細書の閲覧又は複写物の交付がオーストラリア特許庁本庁舎においてのみ可能であつたか、あるいは、他の各州の特許庁支所においても可能であつたかの点において相違するにすぎず、頒布された事実を推認させるものがない点では全く異らないからである。

以上のとおりであるから、引用マイクロフィルムが頒布されたということはできない。

2  引用例が不適格であつたため、拒絶理由通知に対して、補正書、意見書を提出する等の機会が実質上与えられなかつた(取消事由(2))。

拒絶理由通知書が送付された時点で、引用技術との対比をするために、原告は引用例の閲覧を求めた。ところが、その求めに応じて示されたのは、昭和四七年二月二九日に特許庁資料館に受入れられた一九七一年一二月一〇日付オーストラリア特許公報であつて、引用マイクロフィルムではなかつた。右特許公報は、本願出願後に頒布された刊行物であるから当然引用例とすることはできず、出願係属中の手続補正の可能性を考えると、是非とも引用マイクロフィルムと比較対象をする必要があつたのである。にもかかわらず、引用マイクロフィルムの閲覧が許されなかつたのであるから、原告には拒絶理由通知に対して有効に意見を述べ、あるいは補正をすることが実質上できなかつたのである。引用マイクロフィルムと右公報が同一内容であることは認めるがそれはあくまで結果論であつて、真の引用例に対応し得なかつた手続上の違法性は治癒されるものではない。したがつて、審決のもととなる拒絶査定が違法な手続でなされたのであり、審決もまた同様に違法である。

第三請求の原因に対する認否、反論

一請求の原因一ないし四の事実は認める。同五の主張は争う。

二審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由(1)について

オーストラリア特許庁副長官作成の文書の原告引用個所の記載によれば、公示の時点で引用マイクロフィルムが作成され、その後そのジアゾコピーによるマイクロフィルムが六ヵ所の同国特許庁の閲覧施設に頒布され、公衆の閲覧に供された事実が証明されている。この記載においては、ジアゾコピーによるマイクロフィルムが六カ所の閲覧施設に頒布された日時は特定されていない。しかし、右文書に添付された書類eには、引用マイクロフィルムの特許出願にかかる明細書を公開する旨公示した一九七〇年一一月一九日付特許商標意匠公報の行政機関の告示欄に、公衆審査のため公開され、まだ印刷されていない明細書は、六カ所の施設において、この公報に公示後三週間以内に閲覧のため利用できる旨記載されている。そして引用マイクロフィルムが公示日から三週間以上に及んでも閲覧しえなかつた事実によつて反証されていない以上、行政機関の責任ある告示にもとづいて、公示日の三週間後の一九七〇年一二月一〇日には六カ所の機関に引用マイクロフィルムが頒布されたと推認するに何の支障もない。

そして本願は、さらにその約一一カ月後の昭和四六年一一月二日に出願されたものである。してみれば、引用マイクロフィルムが、本願出願前オーストラリア国内で頒布された旨の推認は、経験則に照して妥当なものというべきである。

原告引用の判決の判示事項中、明細書原本とは、出願人から特許庁に提出され、法規に定める手続を経て同国特許商標意匠庁長官が認容した明細書そのものを指称しており、判示の趣旨は、明細書そのものが長官の認容により公衆審査のために公開されて頒布性を有する状態になつたとしても、そのことのみをもつて「頒布された」と認定しえず、少なくとも頒布された事実を推認せしめるものが必要だというにある。

これに対して、本件の引用マイククロフィルムは、明細書原本そのものでなく、その複製物である。この複製物は、前記のとおり、同庁で作成された二巻のマイクロフィルムのうちの一巻から作成され、六カ所の閲覧施設で公開されたジアゾコピーのマイクロフィルムのことである。このことにより、単に明細書原本が頒布性を有する状態におかれたに止まらず、現実に複製物としてのマイクロフィルムが頒布されたのであるから、マイクロフィルムは刊行物に該当する。

この解釈は。最高裁判所が同庁昭和五三年(行ツ)第六九号事件につき昭和五五年七月四日言渡した判決の「頒布された刊行物とは、公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書、図画その他これに類する情報伝達媒体であつて、頒布されたものを指すところ、ここに公衆に対し頒布により公開することを目的として複製されたものであるということができるものは、(中略)右原本自体が公開されて公衆の自由な閲覧に供され、かつ、その複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整つているならば、公衆からの要求をまつてその都度原本から複写して交付されるものであつても差し支えないと解するのが相当である。」との判示によつて、判例上確定しているというべきである。

引用マイクロフィルムについてみれば、すでに制度として、マイクロフィルムの形態で複製され、複数個所に配備の上公衆からの複写要求に遅滞なく応じうるのであるから、それ自体が「頒布された刊行物」に該当する。

2  取消事由(2)について

出願の審理過程で引用された刊行物の内容については、その過程で直接参照した文書が何であれ、引用例の記載内容との同一性が担保される限り、公報等複製物により推認して差し支えない。引用マイクロフィルムの内容と原告に対し示されたオーストラリア特許公報の内容が同一であることは原告も認めるところであつて、この点に問題はない。

原告は手続上の違法性につき主張しているが、仮に引用マイクロフィルムの複写物の入手が遅れた結果、意見書等の提出が遅れたとしても、それは事情を疎明して期間延長を求めれば足りることである。

第四  証拠《省略》

理由

一請求の原因一ないし四の事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、原告主張の審決取消事由について判断する、

1取消事由(1)について

<証拠>によれば、オーストラリア国特許第四〇八五三九号に係る特許出願は一九七〇年(昭和四五年)一一月一九日に同国特許商標意匠公報において公衆審査のため公開する旨公示されたことが認められる。そして、オーストラリア国においては、この「公示の時点で、特許庁で明細書のマイクロフィルムを二巻作成する。……一巻を永久保存、他の一巻からジアゾコピーを六部作つて、一部を特許庁で保管し、残りを各州の特許庁支所(ブリスベン、シドニー、メルボルン、アデレード、パース所在)に送る。公衆は、特許庁本庁及び各支所でディスプレイスクリーンを使つてこのマイクロフィルムを見ることができる。普通紙に複写する装置もある。公衆は、この複写紙を購入することができる。明細書のコピーは特許庁本庁からも取り寄せることができる。」との取扱いがされていることは当事者間に争いがない。また、<証拠>によれば、公示された出願の明細書のマイクロコピーは、公示の日から三週間以内に各支所で見ることができるようになることが明らかである。

ところで、実用新案法三条一項三号にいう刊行物とは、公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書、図画その他これに類する情報伝達媒体をいい、頒布とは、上記のような情報伝達媒体が不特定多数の者の見得るような状態におかれることをいうと解するのが相当である(最高裁判所昭和五五年七月四日判決参照)。

これを前記のオーストラリア国特許第四〇八五三九号明細書原本を複製し特許庁本庁及び五個所の各特許庁支所に配布されたマイクロフィルムについていえば、右マイクロフィルムが不特定多数の公衆に対し頒布により公開することを目的として明細書原本を複製した文書、図画に類する情報伝達媒体であることは明らかであり、また、右マイクロフィルムは、公示の日である一九七〇年(昭和四五年)一一月一九日から三週間以内に特許庁本庁及び各支所に備えつけられて、その後はいつでも公衆がディスプレイスクリーンを使用し又は普通紙に複写してその内容を見ることができる状態におかれているのであるから、おそくとも公示の日から三週間後である一九七〇年一二月一〇日の時点で頒布されたものとなつたと認めるのが相当である。

もつとも、原告が引用する当庁昭和五五年(行ケ)第二五六号事件の確定判決は、前記オーストラリア特許の明細書原本についてであるが、前記公示の日から不特定多数の者がその複写物の交付を請求し得る状態になつたからといつて、その日にそれが頒布された刊行物になるものとすることはできない、との理由で審決を取消した(このことは当裁判所に顕著である。)。しかし、右判決の理由に従つても、前記マイクロフィルムがオーストラリア特許庁及びその五個所の支所において不特定多数人にとつてその内容を見ることができる状態におかれたのは、前認定のとおりおそくとも一九七〇年(昭和四五年)一二月一〇日であり、本願の実用新案登録出願の日はそれから約一一か月後の昭和四六年一一月二日であることは前記のとおりであるから、特段の立証のない本件においては、その間に何人かの者が前認定の方法でその内容を見たこと、したがってこれが頒布されたことを推認することができる。

そうとすると、本願につき引用例としたオーストラリア国特許第四〇八五三九号明細書を複製したマイクロロフィルム(引用マイクロフィルム)が、本願出願前に同国内において頒布された刊行物であるとした審決の認定は正当である。

原告は、マイクロフィルムの特許庁支所への送付はオーストラリア特許庁における純然たる内部手段であつて、これをもつてマイクロフィルムが頒布されたということはできないと主張するが、この主張が理由がないことは右に述べたところから明らかである。

2取消事由(2)について

原告主張のとおり拒絶理由通知書が送付された時点で原告が引用例の閲覧を求めたのに対し示されたものが引用マイクロフィルムそのものではなく一九七一年一二月一〇日付オーストラリア特許公報であつたとしても、この特許公報の内容が引用マイクロフィルムの内容と同一であれば、この特許公報を見ることにより引用マイクロフィルムに掲載された技術内容を把握できることはいうまでもない。そして、右両者の内容が同一であつたことは原告も認めるところであり、<証拠>によれば、原告が拒絶理由通知書を受取つた段階で、これに添付されたオーストラリア特許庁副長官作成の文書と前記一九七一年一二月一〇日付同国特許公報の記載によつて引用マイクロフィルムと右特許公報の内容が同一であると推認することは十分にできたものと認められる。そうとすると、原告は、右特許公報により引用マイクロフィルムに掲載された技術内容を把握し、これに基づいて拒絶理由通知に対し適切に対処できたはずといわなければならず、引用マイクロフィルム自体の閲覧が許されなかつたとの点をもつて審決を取り消すべき手続上の瑕疵ということはできない。

3以上のとおり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、審決にこれを取り消すべき違法の点は見当らない。

三よつて、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官瀧川叡一 裁判官牧野利秋 裁判官清野寛甫)

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